2018.9.23
流されながら、流れない
少年の頃、世間の価値観にどっぷり浸かっていた私は
「どうせ自分には大工になる道しか許されていないのだ」
と決めつけ、自分で自分の人生を見限ろうとしていました。
それが全くの誤解であることを教えてくれたのは
本や友や仕事を通じて出会った多くの仲間でした。
それ以来、私は
「それが本当に生身の自分が感じていることなのか」
それとも
「世間の尺度に従ってそう思い込んでいるだけなのか」
に敏感になりました。
世間の尺度の中で生きていくことは、ある意味楽です。
けれど、それでは自分の魂は置き去りにされてしまいます。
人間社会に暮らしている以上
時代の流れ、世の中の流れには
誰しも沿っていかなくてはならないでしょう。
しかし流れに身を委ねながらも
どこか凛としたじぶんなりものさしを持っていなくては
誰かを愛すことすらできないと思うのです。
その気持ちを忘れないために
時に私は冬山を歩きます。
すべてをそぎ落とし、曖昧さを許さない冬の山は
私自身を裸にし
埋もれていた野性的な本能を目覚めさせ
究極に大切なことは何かを思い出させてくれるからです。
流されながら、流れない。
細く、厳しいけれど
純白の新雪が降り積もった路を
これからも力強く踏みしめていきたいと思っています。