季節ごとに違った表情を見せる四季。自然の豊かさに包まれた日本の暮らし。自然と人間が調和するために、かつては、その土地、その土地にあった家づくりの技術があり、その技術は代々継承されてきました。
しかし、戦後の高度経済成長期、人々はより豊かになるために、古いものを捨て、新しい物を求めました。それを実現するために建築の世界も、より合理的・効率的な家づくりが広まっていきました。
その結果、目の前に広がるのは、土地の持つ特徴に関係なく個性を忘れた同じような家が立ち並ぶ風景。私たちは本当に豊かになったのでしょうか。本来家とは、土地の風土に合わせ、住む人の価値を投影し、大切に手入れをしながら何十年・何百年と住むことができるものではないでしょうか。
時代に取り残された歴史のある家は老朽化し、取り壊されていく。TODAはそういう現状を憂い、自分たちが建てる家はどうあるべきかを深く自問自答しました。その答えが「50年後に古民家になる家」を提供することです。
※国の登録有形文化財制度が築50年以上経過した建物を対象にしていることに準じて、古民家を築50年以上の建物と定義。
そのために、古民家の保存・再生・利活用に取り組む「一般社団法人愛知県古民家再生協会」、また日本の古き良き暮らしの文化を、後世に残し継承していくための「NPO法人奥三河田舎暮らし隊」を立ち上げ、三位一体となって、日本の未来の子どもたちのために「日本の伝統を現代に調和させ未来に継承する」活動を行っております。 伝統と現在の技術が融合し、住む人の価値を具現化した家。四季折々の自然を感じ、モノとそこにある物語を大切にしながら、50年後・100年後も住める家。TODAは既存の考え方にとらわれることなく、時代の変化に惑わされず「本当の豊かな暮らし」とは何かを日々、追い求めています。
この三河の地で誕生したTODAも私の代で5代目になります。平成26年に社長に就任して以来「日本の住まいはどうあるべきか?」を自問自答する日々を過ごし、あっという間に時が経ってしまいました。。
TODAは先代の社長(現会長)の時代に大きく飛躍しました。もともと設計事務所としてスタートしたTODAでしたが、先代の社長は設計だけの仕事に限界を感じていました。お客様の想いを具現化する、さらにお客様自身も気づいてない潜在的なニーズを顕在化し、形にするには設計だけでは限界があるのではないか。お客様の夢を実現するには、設計があり、それを実際に形にするには大工がかかせない。現在の、設計と実際に住まいを建てる大工が融合した現在のTODAのスタイルを築き上げたのが先代の社長です。私たちは他にあまりない、このTODA独自のスタイルを「職人夢工房」と呼んでいます。
先代からバトンを引き継いだ私の大きな役割の一つが、このTODAならではのスタイルをもっと成熟させ、磨きをかけてより質の高い住まいを探求していくことです。
では「より質の高い住まい」とは何なのか?ここ数十年、建築分野での技術の発展には目覚ましいものがあります。新たに開発された技術によって、大量の住宅を・短期間に・低コストで建築できるようになりました。同じ規格品を大量生産する製造業のノウハウがその根底にはあります。その結果、日本の住環境はどうなったのか?北は北海道から南は沖縄まで同じようなデザインで、同じような機能を持つ住宅が大量に建てられました。果たしてそれが本当に質の高い住宅といえるのだろうか。私たちの答えは少し違います。
住まいはその土地土地の気候風土に根付いたものではくてはいけないと思います。気温・湿度・土地の性質、小さい日本でも環境は大きくかわります。その土地の持つ環境に適応した設計をし、建築素材を選び、一年でも長く住み続けられる建築こそが「より質の高い住まい」ではないでしょうか。大量生産で画一的な住宅ではなく、この三河の風土を理解し、この地で育まれた自然素材を使い、伝統の技術と最新の知見やテクノロジーを融合させ、てまひまを掛けて丁寧に家を建てていく。この一見、時代と逆行するかに見える家づくりこそが、大量生産の住宅では決して味わえない「より質の高い住まい」の答えではないかと考えています。
温故知新。古きを知り、古き技を継承し、新しいノウハウやテクノロジーを融合させて新しい時代の価値を創造していく事。これこそがTODAの目指す家づくりです。
この実現のためにTODAではさまざまな取り組みを行っています。
その一つが古民家の再利用です。三河には数多くの古民家が存在します。しかし、古民家を解体するとそれは単なる「廃棄物」として処理されてしまいます。しかし、例えばその古民家で捨てられてしまう柱などの古材。これらの古材は、幾年月の風雪を耐え、長い年月によって醸し出される「風合い」があります。この味わいは、新材では決して表現できない「味」があります。TODAでは、こういった古材を現在の住宅に取り入れるシステムを構築し、活用しています。
古き良き昔ながらの田舎の暮らしを守り、活用するために都市と田舎に人々を結ぶ「NPO法人 奥三河田舎暮らし隊」を設立。また、古民家の状態を鑑定し、より良い保存、活用法を提案する「一般社団法人 愛知県古民家再生協会」を立ち上げ、古民家の情報をいち早く入手することができる体制を作りました。
そして若い大工の育成にも本腰を入れています。2018年には大工用の寮を用意。キャリアのある兄弟子と新人の弟弟子が同じ釜の飯を食べ、寝食を共にし、伝統技術の継承だけではなく、大工としての心構え、将来の棟梁としてのあるべき姿を、日常の生活から得られる環境を整えました。技だけではなく、その技にふさわしい人間力を身につけた真の大工の育成に力を注いでいます。
全ては三河で暮らすための最高の住宅を提供し続けていくために。
先人たちの英知に敬意を払い、古材を慈しみ、自然の素材を大事にし、伝統の技法と最新技術を融合させていく。そして過去・現在・未来をつないで新たな価値創造を行っていく。
それがTODAの仕事です。
平成26年に現社長に代表取締役の席を譲り、会長職につきました。現在は、田舎暮らしをしたい人と田舎とを結ぶ「NPO法人 奥三河田舎暮らし隊」、古民家の状態を鑑定し、その保存や再生・活用法を提案する「一般社団法人 愛知県古民家再生協会」の運営に携わっています。
また、それらの活動と並行して、これまでTODAが何を大切にし、どういう想いを抱きながら今に至るのかを語り伝え、そのDNAのバトンを渡すことを行っています。
祖父の代から大工だった戸田家に生まれ、私は幼少の頃から「お前はいずれ大工になるんだ」と言われて育ちました。当時は「大工をやるには、だいたい中学を出て小僧になって」という時代。勉強しようがしまいが大工には関係ないと思い「勉強する意味」がわからず、どうせ自分は広い世界を知る事もなく、この三河で大工になって人生を終わるんだなと思っていました。当然、成績がいいわけがありません。
自分の人生が描けない悶々とした中学時代に私は一冊の本に出会いました。小田実氏が書いた「何でも見てやろう」という、今でいうバックパッカーの体験記です。私はこの本を通じ「世界には何て多くの価値観や生き方があるのか!自分の未来を描けないのは、自分が勝手に限界を決めているからではないのか」と強く思いました。思ったら即行動。まずはとにかく高校に行こう。全然勉強していなかったので、とにかく入れる高校に入学しました。高校をなんとか卒業した私は、建築を学ぶために大阪の学校に進みました。
大阪での生活は実に刺激的でした。そこには実に個性的な学生が集まり、自分の考えを主張し合い夜な夜な議論するわけです。三河田舎から出てきた「元落ちこぼれ」の自分とも対等な立場で意見を言ってくるし、自分の意見も聞いてくれる。それが本当に嬉しかった。大阪での日々を通じて、「人との関わりの大切さ」「多様な考え方があること」「自分なりの考えを持つ大切さ」を学んだと思います。
同級生の一人にY氏という友人がいました。北海道から大阪に出てきた彼は、何百人もいる同級生の中でも目立つ存在でした。彼は親の援助を受けず、自力でミラノへ行き、建築家になることをめざしていました。その後、彼は実際にミラノに行くことになります。そのY氏がミラノに発つ時にこう言ったのです。「戸田、卒業したら、シベリア鉄道を使ってヨーロッパに行こうよ、一足先にミラノへ行くからヘルシンキまで来れば迎えに行くよ」。当時、海外に行くのはまだまだ珍しい時代。そんな時代にミラノに行くY氏によって私の世界観はさらに広がったと思います。結果、私は卒業した2年後、すぐにYさんとの約束を果たそうとしました。
また、30歳の時、アメリカから仕事の依頼が舞い込みました。ある会社から、派手なパフォーマンスで知られるステーキハウス「ベニハナ」のような、ショー的な焼肉屋さんをしたいということで、店舗設計の依頼がきたのです。
単身アメリカに渡り、打ち合わせをしながら、1ヶ月くらいホテルを貸し切り、滞在して図面を引きました。 半年後、再び現場管理をするために渡米し、無事店舗を完成させました。
やがて私は実家に戻り、店舗建築を経て、現在の住宅を中心にした仕事をするようになりました。そこで強く思った事がいくつかあります。一つは「家はその土地の風土や文化にあった自然素材が一番理にかなっている」という事。もう一つが「多様な個性を持つ人々に対して画一的な家を提案しても満足してもらえない」という事です。
やはり、その土地ですくすく育った木材を使うのが一番適しています。例えば三河で採った木材を沖縄で使用しても、乾燥しすぎたり、湾曲したり、予期しない事が起きると思います。
また、大量の家を短期間で建築するために、さまざまな技法や工法が開発されてきました。確かにこれらの技術を使えば、短期間で効率的な家づくりができるでしょう。でも、それで家主は本当に満足するのだろうか。私はじっくり面談を重ね、家主さんの人生に触れながら、それを具現化するために一軒一軒、個性を生かす家づくりをしてきました。それが現在のTODAにも引き継がれています。
設計を通じて家づくりをしてきて思ったことがもう一つあります。それは「設計だけでは自分が描く理想の家を完全に提供する事はできない」ということでした。私が描く理想の家。それは「家主の想いをデザインし、地元の自然素材を使用し、伝統的な技法で建てる家」です。そのためには設計から素材選び、施工まで全ての工程を一体化させる必要があると思うようになりました。これも思い立ったら即実行。私は設計から施工まで全てを自社で行える体制を構築し、それを「職人夢工房」と名付けました。家づくりを一貫して請け負える現在のTODAのスタイルはこうして生まれました。
夢を描けなかった少年時代。人生を変えた一冊の本。多様な価値を教えてくれた仲間。それらの出会いや経験が今の私、ひいてはTODAの原点です。では多くの仲間に出会え、さまざまな経験ができた源泉は何か。それは「ワクワクする好奇心」だと思うのです。これは面白い!この人は素晴らしい!というワクワクする好奇心があったからこそ、出会いもあり経験もできるのではないでしょうか。
今や人生100年時代。私が100歳になるまでには、まだまだたくさんの時間があります。私には、まだまだたくさんの出会いと経験が待っています。それを活かすためにも「ワクワクする好奇心」を大事にし、新しい事にチャレンジし続けていきます。