30 9月 「にゃんぱく宣言」から
テレビ・ラジオでもうご存知でしょうが『日本動物愛護協会』の団体支援キャンペーンのCMです。 多頭飼育崩壊が社会問題になっている昨今、「さだまさし」さんが作ってくれたところに感動すると共に、最後の歌詞「俺の飼い主は生涯お前一人」に、3年前迷い猫を家族として受け入れた「お前」は、最後まできちんと責任を果たそうと改めて肝に銘じました。 ♪ 俺の体 俺より管理しろ 家の外には出してはいけない 飼えない数を飼ってはいけない ♪...
テレビ・ラジオでもうご存知でしょうが『日本動物愛護協会』の団体支援キャンペーンのCMです。 多頭飼育崩壊が社会問題になっている昨今、「さだまさし」さんが作ってくれたところに感動すると共に、最後の歌詞「俺の飼い主は生涯お前一人」に、3年前迷い猫を家族として受け入れた「お前」は、最後まできちんと責任を果たそうと改めて肝に銘じました。 ♪ 俺の体 俺より管理しろ 家の外には出してはいけない 飼えない数を飼ってはいけない ♪...
これ、何だかわかりますか?? そうです。 見るからに納豆ですね(笑) 先日「納豆づくり」ワークショップなるものに参加してきました。 味噌にしても、お餅にしても 最近ではすっかり「買うもの」になってしまいましたが 昔は、各家庭で当たり前に作られていましたよね。 「つくる」ということが実生活から遠くなればなるほど そこにかけられた時間や想いを忘れがちになり ありがたみも薄れてしまうので 出来るだけ、つくられる行程を知っている自分でありたいなぁ と思う今日この頃です。 そんな訳で 割と珍しい「納豆づくり」のワークショップに参加してみたのですが… 納豆ってどうやってできているかご存知でしたか? 何となく 発酵食品だし 納豆菌、って聞くし 大豆を発酵させて~… というのは想像が出来たので 「納豆菌パウダー」(ドライイーストのイメージ)のようなものが存在し それを茹で大豆にふりかける… 的なイメージをしていたのですが なんと! 茹でて柔らかくなった大豆の中に 稲わら(沸騰したお湯の中で他の菌を死滅させるという下処理されたもの)を ただ挿すか、乗せておくだけ。 それも4~5本。 (写真の大豆の上に乗っているのがそれです) そして、40~50℃の環境で24時間放置するだけ。 この40~50℃の環境で放置というのも 難しいかな?と思いきや 80℃程度のお湯をペットボトル2本に入れ お豆の容器を挟んで、発泡スチロールに入れておくだけ。 12時間後くらいに一度お湯を交換した方が良いですが 特別な機械も必要ありません。 確かにね… 納豆と言えば「わら納豆」のイメージ、ちゃんとありますよ。。。 でも、まさか… ここに納豆菌が生息していたなんて!!! そして、ワークショップの講師さんに聞いた豆知識によると(納豆だけに…) 納豆菌はとても強く 宇宙に行っても生きているとか。 熱湯で煮沸しても生きているとか! だから、納豆をつくる前に煮沸して他の菌を殺菌しても 納豆菌は生きているんですって!!!! 納豆菌にそこはかとないファンタジーを感じました(笑) それを聞いて以来 納豆が可愛くて仕方ない。 やっぱり、「過程を知る」って 大事だし、面白いなぁと感じたリケジョの勝又でした。...
9月26日の夜、一般社団法人静岡県古民家再生協会 第17回 静岡役員会議in三島に、 一般社団法人愛知県古民家再生協会としてオブザーバーで社長が参加させて頂きました。 顧問の井上氏も列席のうえ、今月もたくさんの協議がおこなわれました。...
戸田工務店としての若手大工育成に関する考え方を取材して頂き、9月25日付けで掲載して頂きました。 今の若手4人が成長し、彼らの次の世代を採用し・育て、もう1~2サイクル回し初めてTODAの大工組織として大成したと胸を張れるような気がします。 決して、簡単な道だとは思っていませんが、戸田工務店のスタートは大工だと言う事を忘れずに、地域に誇れる大工組織の形成にこれからも邁進してまいります。...
早朝の日課の愛犬との散歩が涼しくなってきた今日この頃。。 身体が忘れてる2か月前の暑さの中 上高地から岳沢~前穂高に登って来ました。。 忘れたころに帰って来た 上高地。。観光客で賑わう梓川沿いは下界と変わらぬ暑さで避暑地とは名ばかりの 今年の8月の上高地 弊社のホームページでは フランスからのお客様が 奥三河は「ちょうど良い」田舎だそうで 「上高地などの避暑地より心理的ハードルが低いとか。。。」 大変うれしい 話で インバウンドの海外のお客様を向い入れようしている この時代 新城 奥三河に観光の商機あり!! それでも 日本人の自分は上高地に来てるのですが。。 ここに帰ってくると同じ感性の見ず知らずの方達と友達に。。 やっぱり上高地は昔と変わらず(今年の夏の上高地は異常に暑かったですが) 非日常を味わえる貴重な環境かと 海外のお客様が増えているのは実感しますが 日本人の自分には北アルプスへの玄関口の印象が。。 特に登山ザックを背負った方達が目に留まります 観光の方達とは ちょっと外れて 自己責任で 自分の装備で 登山口としての上高地を使って 山に上がって来る人達。。 始発のバスに乗って 大型のザックを背負って 上高地バスターミナルに集まる人達。。 脳みそに蘇るこの景色。。 デジャブの感覚のいつか見た景色。。 絵はがきの感覚の実写版。。河童橋。。 河童橋から右岸を進んで 喧騒の上高地を外れて進むと もうそこは登山者の世界 岳沢の登山口へのルートで追い抜かれた 迷彩の自衛隊の団体さん。。 前穂高に日帰りとのこと チョット憧れ!! 自衛隊なのだけど 今どきの若い方は微妙に個性を出してTHE NORTH FACEの小物とか。。 微妙に迷彩服に個性を出して いいなあ 今どきの自衛隊。。 富士の演習場にまた行きたいものです!! 登山口近くの この景色。。岳沢湿原。。 絵はがきにある 大正池とは 一味違った世界 静かな湿原。。 ようやくスタート。。岳沢に向かってテント泊装備で登って行きます。。 重い 天然のクーラーで一休み。。ここまでくると下界の暑さをいっとき忘れます 仕組みは伏流水の冷たい風みたいな。。 ようやく 岳沢小屋 遠くに乗鞍。。 ここには 山を愛する 韓国の団体さんや 欧州の家族連れが。。 ここには 政治のいざこざはありません。。 海外の方にはこの岳沢小屋は上高地からほどほど近いゲストハウスのような感覚かも? 上高地の高級ホテルを思えばお安く泊まれますし ちなみにテント泊は一泊千円 岳沢カレーが絶妙にうまい。。 さっさと一番 平日絶景の 小屋に近いベストポジションにテント設営。。 この絶景はプライスレス 初日は 早くにさっさと寝てしまい 翌日は 早朝4時から スタート。。 早朝は上高地が雲に沈んでいます。。 右手に早朝の明神岳。。 かっこいい! 天気が良くて残念ながら雷鳥には会えず。。 残念。。 ようやく ここまで上がって来ました。。 もう少しで 前穂高。。 午後霧に隠れる前この絶景を 同時間に居合わせた 初対面の山屋の方達と共有。。 帰り路の 行きに見損なった 上高地に続く景色。。 帰りの上高地バスターミナルには重いテント泊装備を背負って くたびれながら下界に。。 下界に下りて来たらゴールまじかで夕立にやられ びしょ濡れ 防水ザックカバーを出す気もおこらず バスターミナルにセーフで 到着。。心地よい脱力感 お土産をろくに見ずに買ってバスにあわてて乗り込み 後日 お渡しした会長すいません。。 会長 インバウンドの海外のお客様を 奥三河にどんどん ご招待して 観光都市 新城 奥三河を 創成しましょう!! 夢では無いかと。。 上高地 紅葉の季節にまた戻って来たいです。。...
9月19日 全国古民家再生協会 愛知第一支部の会員からの依頼で、高浜にて古民家鑑定のお手伝いに行って参りました。 築100年を超える立派な古民家。 少し前に屋根の葺き替え工事を行ったようです。 伝統耐震性能評価と床下インスペクション含め、しっかりと調査を行いましたので、古民家再生総合調査報告書が纏まるまで暫くお待ち下さい。 この報告書が日本の文化として、今回の建物を後世に繋いでいく為に、どのタイミングで何をすべきかの羅針盤になることが出来れば嬉しく思います。...
朝晩は、涼しくなってきました。 窓をあけて寝てしまうと朝方寒くて目がさめてしまいます。 過ごしやすくなってきましたが、三連休は、雨の予報です。 台風も発生し進路も気になります。 先月は、名古屋ど真ん中祭りに行ってきました。 姪っ子が、大学のサークルでよさこいをしています。 ど真ん中祭りで、よさこいの大会を開催しています。 北は北海道、南は九州までよさこいが大好きな人々が集まります。 数ある団体から姪っ子のチームをさがすのが大変でした。 みんな気合いの入った一糸乱れぬパフォーマンスで観るものを虜にしています。 自分もついつい魅入ってしまいましたが、なんとか姪っ子のチームまでたどりつきました。 姪っ子が動けば自分も動き、気が付けばパフォーマー同様汗だくになってしまいました。 姪っ子は、キラキラ輝き、これぞ青春です!! みんなから元気をもらい帰路につきました。 青春!!なんだか懐かしい言葉・・・です。 ...
9月17日 第六回 五十田教授勉強会 in 京都 東京と京都を行ったり来たりしながら、全国の志を同じくする古民家再生協会の仲間たちと勉強してきました。 古民家はまだまだ解明していかないといけない所が沢山ありますが、大工さんの知識や知恵も活用し、全国の仲間たちとこれからも研鑽を積んで参ります。 全六回で学んだ事を、実務にも生かしていきます。 五十田先生、色々とご教授、ありがとうございました。 ...
きれいですね。 ステンドグラス。透明でも、泡が入っていたりぼやけていたり、またいろんな色があり、多種多様です。私が思うに、万人が万人綺麗と言う商品ではないでしょうか。 TODAでは、よく建具の明り取りなどに使っていますが、今回はお客様のご要望により照明器具に使わさせて頂きました。もちろん建具にも。 これは、向山事務所のものですが・・・ さまざまな、形、色が人工的に照らされ、空間を彩ってくれます。もちろん照らさなくても、空間のアクセントになります。 なんと、この照明器具職人さんの手作業で作られています。 透明や青い大きな板ガラスを切り、切り口に専用のテープを貼って、溶接してくっつけています。少しでも大きさが狂えば、いびつな形になり美しさは半減してしまいます。 美しさの中に、プロの技術が光りより綺麗に見えます。 また、色も赤や黄や青、ピンクもあるそうで、一つ一つ値段が違うそうです。 ガラスを作成する工程に発色させるために、混ぜ物を入れるそうですが、ピンクは金を使用するため、とても高価だとか。 近々、お客様のご厚意で見学会を予定していますので、写真より大きなステンドの照明を見に来てください。 ※今回のステンドの照明にピンクは使っていません。...
向山オフィスが出来るまで、事務所として使っていた建物を改修し、 若手大工の寮 『 啓匠寮(けいしょうりょう) 』としています。 【 啓:教えみちびく 匠:優れた技術を持つ職人 】 現在、二名の若手大工がこの啓匠寮で共同生活をしています。 大工仕事をしてから、口では簡単に言えますが家事を行うのは本当に大変だと思います。 自炊もしていますが、必然的に野菜が不足しています。 【二人の弁当を見る機会があり、覗いてみたら彩が・・・】 まずは社長から、二人と色んな話しをしながら野菜中心の献立(社長夫人作)で、 野菜不足を補いながら同じ釜の飯を喰い、出来る範囲でですがサポートしていこうと思っています。 彼らだけに任せるのではなく、会社として一緒にこの啓匠寮の文化をつくっていけたらとも思っています。 ...
9月14日(土) 静岡県浜松市にある、浜松職業能力開発短期大学校(ポリテクカレッジ浜松)にて、全国古民家再生協会による第四回令和の大工棟梁検定が行われました。 浜松を皮切りに、全国18ヶ所(予定)にて同じ志を持つ全国古民家再生協会の仲間の手により随時開催されていきます。 検定の内容としては、午前中に座学として、伝統構法の特徴や歴史、木材の継手や仕口などについてテキストで2時間の学習を行い、マークシートによる試験を実施します。 午後からは、出題される課題の加工を電動工具を使わずに行います。 採点方法は令和の大工棟梁検定実施委員会が認定した大工棟梁が規定の採点項目において採点します。 ~ 大工仕事の価値と魅力を伝える為に ~ 検定名に『大工』だけではなく『棟梁』が付加されているのは、大工技術【腕】は勿論、家づくりや住生活に関わる知識や知恵【頭】、先人を敬い後進を育て、他人の痛みを自分事にできるハート【心】を持つ、そんな心技体が整った仙人のような人は中々居ませんが、目指すのはそんな棟梁です。 こんな棟梁、尊敬されない訳がありません。 今の効率を求める仕事ばかりしていては、こんな棟梁は育たない気がしてなりません、と言いながら効率はとても大事な事でもあるのですが・・・。 古き良き日本の住文化が次世代へと受け継がれていく為にも、こんな棟梁が居なければ始りません。 『育て繋げる』、とても難しい課題ですが、全国の同じ志を持つ仲間達の知恵や力を借りながら、実現に向けて邁進していきます。 ...
幼い頃にテレビで大工さんが木材を刻む姿を見て「かっこいいな」と思い、自分で木材を加工して家を建ててみたいと思ったのが私が大工を目指したきっかけでした。
小学生,中学生の頃はただ漠然と大工になりたいと思っていただけでしたが、高校生になり進路について考え始め、大工になるにはどうしたら良いか全然分からずに悩んでいた際に、大工の専門学校があることを聞き、そこで学んで大工になろうと入学を決めました。
2年間は大工技術科として伝統工法の技術を学び2級大工技能士に合格することができました。
3年目には2級建築士取得の為の勉強をし、在学中に無事取得することができました。
その後、地元岐阜で専門学校で学んだ伝統工法を活かせる会社で働きたいと思い就職活動を始めましたが、なかなか伝統工法で家を建てている会社は少なく、地元を離れてでも伝統工法にこだわりたく、県外でも探してみようと考えました。
その時に学校の先生に勧められたのがTODAでした。
岐阜からはとても遠く、親元を離れ知らない土地で社会人としてやっていけるのか不安ばかりでしたが、向山オフィスに訪問したとき、とてもオシャレでかっこいい建物で、室内も古材を使ったり木の良い香りのするオシャレな空間に圧倒されると共に「こんな家を建てられるようになりたい」と思いました。
その後、社長やマネージャーから、TODAの建てる家がどんな家か、お客様と一緒に創るという信念、伝統工法で木材を大工が刻むこと、古材を活かしたり、古民家再生を行っていることなどを聞き、いろいろなところでTODAに惹かれ、不安ばかりではありましたが働こうと思いました。
今はまだ人間としても大工としても未熟です。
加工も道具の手入れも上手にできません。
ですが一日でも早く一人前の人間、大工になれるように親方や先輩方から多くのことを学んでいきたいと思っています。
黒杉優大です。兵庫県から来ました。
前職で偶然建築関係の仕事をしている人と接する機会があり、大工に興味を持ちました。
今は分からない事だらけですが、色々な人に支えてもらっています。
少しでも出来ることが増える様がんばります。
子供の頃から木が好きで、木を身近に感じて暮らすことができたら気持ちがいいだろうなと思い、家づくりの仕事に携わるようになりました。
日本の山は、しっかり手入れをして使い続けることで健やかな姿を保つことできます。
大工の技は、手刻みの家をつくり続けることで伝統的な木の家を文化として残すことができます。
地域の材を使い、自社の大工をはじめとする職人たちが心を込めて家づくりをしているTODAに惹かれて入社しました。
関東のベッドタウンで生まれ育ちしばらく働いていましたが、建築を学ぶために移り住んだ岐阜での山と川に囲まれた生活のなかで、「豊かな生活=手間のかからない便利な暮らし」だけでは語れないことを知りました。
お客様それぞれの豊かな暮らしに向けて、家づくりを通して実現できるように精いっぱい努めてまいります。
「愛を原理とし秩序を基礎とし、進歩を目的とする」・・・オーギュスト・コントより
インテリアコーディネーターになりたての頃、上司から教わった言葉です。
お客様の夢を形にしていく仕事を選び、たくさんの方と家づくりをさせていただいています。
日々の業務に追われがちですが、毎朝、手帳を開きこの言葉を心に刻み一日をスタートさせます。
学び続け進歩成長し続けなければ、よい提案はできないと思っています。
私たちの仕事は いかに空間を有効利用でき、目に見えないものの快適性を考えていくことだと思っています。
”空間×時間×夢=マイホームづくり”
お客様とたくさんお話をしてライフスタイルを知る事。
時間はかかりますがここをおろそかにすると夢の実現はできないと思っています。
出会えた1つ1つのご家族と楽しい時間を共有し、夢の箱を作り上げていきたいと思います。
大阪で生まれ、18歳で豊橋に移り住み早20数年が経ちました。
(今ではじゃんだらりんも使いこなします!)
工業高校で建築を学んで以来、(横道にそれながらも)ずっと建築設計に携わってきました。大学を卒業してからは建築設計事務所に勤務し、病院や集合住宅、学校などいろいろな建物の設計に携わりました。
10数年前に戸田工務店と出会い、いろいろなお客さんと一緒に大切な住まいづくりのお手伝いをさせてもらっています。
家族が心地よく住める幸せな家をつくっていきたいです。
よろしくお願い致します。
TODAとの出会いは、古民家が好きで就職活動の際に「愛知県 住宅 古民家」とネット検索をかけたところからスタートしました。少し変わった形でのTODAとのご縁ですが、私はこのご縁にとても幸せを感じています。
生まれてから小学4年生までは父の祖父が建てた築100年の家に住んでいました。現在は建て替えをして築11年ほどの家に住んでいますが、土間のあるお家や古材をみると昔住んでいた頃を思い出し、懐かしく、温かい気持ちになります。
私は全くの文系出身で、今年4月より建築業界という新しい世界に足を踏み入れ、日々刺激を受けています。
TODAには志の高いスタッフたち、心温かいオーナー様方がいます。恵まれた環境の中で私自身、一人前になれるよう努めてまいります。お客様第一の考えで、お家づくりのお手伝いをさせて頂けたらと思っています。
戸田工務店の一員となり、早いもので十数年が過ぎました、新城に移り住んでからも同じ年月が流れました。
それまでは、設計事務所でマンションなど大きな建物を建てる会社で仕事をしてきました。
TODAでは主にリホームを担当させて頂いています、キッチンの入替一つから、家全体の大きな改修工事
まで。
お客様からのお困り事、お悩みを伺うことから始まり、新しい暮らし方のご提案をさせて頂きます。
工事後のお客様から「とっても住みやすくなって、リホームして本当に良かった」 と言って頂けるように
お客様に寄り添っていきたいと思っています。
今年から大工として入社しました米山柊です。
出身は豊川で21年間住んでいました。
今は仕事に専念するために豊橋にあるTODAの寮で暮らしています。
大工を目指そうと思い始めたのは高校3年生の時で、進路を考えたとき、将来なりたいと思ったのは大工でした。
手に職をつけ働いている職人さん達の姿はとてもかっこいいです。
私の家も大工の家系です。
自分の住む家を自分で設計し建てるのを見るととても憧れます。
そんな人達を見て私も大工になりたいと思い、高校卒業後、専門学校に通い2級大工技能士を取得しました。
今の時代、プレカットで木を加工する会社が多い中で、TODAは昔のように1つ1つ職人さんが丁寧に刻んでいます。
TODAの家づくりはお客様と一緒に考え、一から創っていきます。
木、古材を多く使った家はとても素晴らしいです。お客様の家づくりへの想い、こだわりに携わりたいと思いTODAに入社しました。
今はまだ現場へ出ても分からないことが多く、刃物を研ぐことも下手ですが、これから親方、先輩方から教えて頂けることを多く吸収し、少しでも早く一人前の大工になれるよう日々精進していきたいと思います。
家族構成は父、母、兄、兄、私、弟という男兄弟に囲まれて育ってきました。そのため遊ぶ時は野球やテレビゲームなどが多かったです。
父が剣道教室をしていることもあり私も小学校5年生から剣道をはじめ家族みんな剣道をしていました。
中学校、高校と剣道部に入り部長を経験するなど、剣道に熱中してきました。そのおかげもあり剣道三段を取得することができました。
昔から年下の子の面倒を見たり、遊んだりするのが好きで年長の時には先生から下の子の寝かしつけを頼まれたりもしました。
高校の時は保育士になること夢みて保育系の授業を受けていました。保育の短期大学も受けようとしましたが、何かしっくりくるモノが無く次の夢を考える事にしました。
昔から夢ややりたい事がコロコロ変わる性格だったので、当時本当に何がやりたいのか分からない状態でしたが、なぜか頭に浮かんできたのが大工でした。
テレビの解決ビフォーアフターを見ていてこんな仕事ができたらかっこいいなという憧れはありましたが、建築業界は男社会ということで1歩引く気持ちがありました。
ですが、保育士を志そうとした時の気持ちとは違い、大工への憧れの熱は冷めず、高校を卒業して東三河高等技術専門校に入りました。
専門校では男の人との力の差を感じながらも2級技能士の資格を取得したり、若年者ものづくり競技大会に出場することができました。
授業の一環として外部のお客様からの注文を受け、私が専門校にいる時は2件東屋の注文が入り作りました。普段の授業でもできない加工などもできてとてもいい経験をすることができました。
就職先を決める時に先生から戸田工務店なら女性の大工でも引き受けてくれると思うよと言ってくれたのがきっかけでした。
会長には何回かお会いして話など聞いていましたが企業実習で初めて社長とマネージャーに会い戸田工務店や建築、大工についてお話を聞きました。
これからTODAの大工集団を作っていくというお話を聞き、私もその一員になりたいと思い、門を叩きました。
大工の仕事を覚え、いつか自分が建てた建物で沢山の子供、幼心を忘れない大人が集まれるような駄菓子屋さんをやりたいと思っています。
そのためにもこれから色々な壁にぶつかり、つまずく事はあると思いますが伴さんのように現場で働くかっこいい女性になれるよう成長していきたいです。
私は生まれも育ちも大阪です。
大工育成塾という国家プロジェクトを通じて大工という世界に足を踏み入れました。
同年代の若い大工になろうとする仲間達は、厳しい世界という事もあり、塾生の人数は最終的に半分くらいに減ってしまいましたが、残った仲間は皆志が高く、月に一度の座学で会う時はみんなの近況や、悩みをお互いに聞いたり話したりでき自分も負けてたまるかという思いで、競争心が生まれいい刺激をもらいました。
かなりの負けず嫌いです。笑
大阪で3年間修行を終え、ご縁があり大工育成塾の講師の紹介で戸田工務店と巡りあいました。
親元を離れ、新天地で一人暮らしをするのは初めてなのですが、新しい場所で、新しい事を学び吸収して、以前大阪で学んだ事と組み合わせて、より質の高い仕事であったりまた、人から信頼されるよう、人間性を高める事に日々精進したいと思っております。
趣味は手道具集め、道具手入れ、砥石集め、ライブハウスに行ったり漫画を読んだりとかなり多趣味です。
金物店に行くと道具がつい欲しくなります。笑
道具の形状であったり、刃を手入れした後の切れ味、天然砥石で砥いだ後の鈍い光沢は美しいものです。
また鍛冶屋に行ってみたいと思ったりもしてます。
つい最近、天然砥石を京都の山奥にある砥石屋に買いに行き3つ購入しました。
やはりお値段は懐によくないので、関西人らしくかなり値切りました。(笑)
原石や色んな種類の砥石が膨大な量で、見てるだけでは分からなかったので、砥がしてもらった感触であったり、ひびが少なく、すぐ乾かないものを助言を貰いながら選びました。
すぐ乾くものは柔らかく早研ぎには適しているが、長切れする刃をつけたいときは細かい傷をとるために硬い砥石で砥汁を出し時間をかけて砥ぐと摩擦も抑えられ良い刃がつくようです。
割れを防ぐため、砥面以外の養生に漆を数回塗り終えいよいよ新しい砥石のデビュー戦です。砥ぐのにより一層力が入りそうです。(笑)
その刃物で仕事も頑張ります。
私が高校生の時に実家を建て替えました。
その際、『大工』という職業を間近で見て「すごい!面白そう!格好いい!!」という強い憧れを抱きました。
それまでは特に何かをやりたいと思う事がなかったのですが、この時に初めて「将来は大工となって大工として生きていきたい!」という想いが心の底からあふれました。
普通科の高校に通っていたため、建築関係の事は何も知りませんでした。
卒業後は専門学校か職業訓練校に進学しようと考えていた時、『大工育成塾』という国家プロジェクトの存在を知り入塾しました。育成塾は、実際に現場に出て仕事をしながら親方について修行をするというもので、その受け入れ先工務店が戸田工務店でありました。
三年間塾生として学び、卒塾後戸田工務店の一員として現在働かせていただいております。
大工の仕事はとても厳しい仕事ではありますが、毎日やりがいがあってとても楽しいです。
一日でも早く、親方や先輩大工と肩を並べるぐらいの大工になれるよう、日々精進してまいります。
いろいろな出会いがなければ今ここで大工として働く事が出来ていたか分かりません。
出会いの大切さを強く感じています。
少々人見知りなところはありますが、現場等でお会いする機会がございましたら、お気軽にお声掛けください。
建築業に携わり、インテリアコーディネーターの資格を取得してから20年以上が経ちます。
(あっ、年齢が分かってしまいますね…。)
縁あってTODAの一員となり、現在はリフォーム部で日々勉強中です。
私はお話をする際、お客様のお話を「聞く」という事をとても大切にしています。
何気ない話でも、夢や未来の詰まった家づくりへの気持ちが見えてきます。
家づくりは完成してからのお付き合いの方が長いのです。
家族の成長と共に「住まい方」も年々変化してゆくもの。住まい方の変化に合わせて家族が憩い、安らぎ、成長して行ける場所であるように家も変化し続けます。
お客様のライフスタイルに合わせた、人生に寄り添える家づくり、リフォームのお手伝いが出来ればと思います。
はじめまして、小島清司と申します。夢が実現できるってすてきなこと。いつも夢を追い求めています。
今からちょうど30年前、現会長が豊橋市で設計事務所を開いていた時に「まず一つ目の夢の実現」自宅を新築しました。
その年に結婚して長男が誕生しましたが、25年後に職人夢工房「TODA」で薪ストーブを取り入れ「二つ目の夢の実現」リフォームをしました。
現会長とは妻よりも長い付き合いで彼是33年程になります。
一緒に登った南アルプスがきっかけで一生に一度はヒマラヤを見てみたいと話をしたのが、ネパールやパキスタン、チベット、タクラマカン砂漠へと行くこともできました。
現会長と夢を追いながらこれからも一緒に夢をかなえていければと思っています。
「TODA」で家づくりををすすめておられる皆様
皆様の夢の実現を誠心誠意しっかり応援させて頂きます。
また、薪ストーブを考えていられる皆様、しっかりサポートします。特に薪の調達が大切です。
気軽にご相談下さい。お待ちしています。
TODAに入社する前は、金槌、鑿、のこぎりを片手に現場で走り回って家を“造る”側でした。祖父が大工をしており、一番近くで見ていたからかもしれません。
しかし、初対面で「お仕事は?」と聞かれ、「建築系です。」と答えると、「設計か営業ね」と言われ、「大工です。」と答えると驚かれることが多く、いつしか、第一印象で自分のことを設計士とみられるのであれば、設計士に向いている!設計士になろう!“創る”側の人間になろうと思い、TODAの門をたたきました。
TODAを知ったきっかけは国道沿いから見る本社の庭でした。
うねうねしたベンチのようなものがあり、きっと雑貨屋さんだろうと思っていましたが、調べてみると建築屋だったのには、驚きました。
さらに、入社した後にも、驚かされました。
幼い頃から旭本町の事務所(現:寄宿舎)の前を通っていましたが、当時はお洒落な建物なのできっとアパレル関係の会社なのだろうと思っていました。
実は戸田工務店の事務所でした。
現在は、設計のお仕事につかしていただいていますが、“つくる”の漢字が違えば“感じ”も違いました。
意匠だけではなく、家としての機能、住まい手の生活感を大切にし、満足していただけるよう又、現場で働く方々に設計士の想いが伝わるよう、日々図面とにらめっこです。
高校卒業後名古屋・東京で過ごし、久々に地元の豊川に戻りTODAの一員になりました。
周りに畑や田んぼしかないところで育ち、もっといろいろなものを見たり経験をしたくて地元を出ましたが、帰ってきて何もないと思っていた場所には都会にはないものがたくさんあることに気づきました。
建物もそのひとつです。この地方だからこそ手に入る材料や活かされる技術や景色、暮らしがあります。
それらを次の世代に伝えたり提案することも、建物に関わる仕事をしている大切な役割なのではないかと思うようになりました。
今までの経験や出会った方から学び、今そう感じることができるようになったのだと思います。
TODAは考える人・つなぐ人・つくる人・広める人が集まってこの地方の材料を活かし、技術を伝える取組をしながら建物づくりをしています。
その中でまだまだ学ぶことが山のようにありますが、長く大切にしたくなるような建物の良さや感動を伝えられるように、人との出会いも大切にしながら家づくりのお手伝いをさせていただけたらと思っています。
入社して、まもなく6年が経とうといたしております。
出会いは、名古屋の宮大工の会社の先輩大工の紹介でした。
2級ですが建築士を取得後 新卒で6年間、宮大工修行後(北は北海道まで、1年の半分は出張大工)、一般建築を学びに岐阜の白川町に6年移住。
ここで、『お家』を作ることを覚えました。田舎づくりの家を中心に、刻みからの大工請負大工を経て、妻の出産を機に、豊橋(私は高校生で父を亡くしており母方の実家は田原市)に移住。生後3か月の子供と共に家族でこの会社に飛び込みました。
かなりの、チャレンジャーだったと、、、、、あと、妻もよく黙って付いてきてくれたと、、、今、思い返され、快く受け入れてくれた会社と妻に感謝、感謝。
社員大工を3年経て、リフォーム工事の工務兼営業を2年、昨年2月から、リフォーム部の店長として、リフォームチームの仲間と、日々お客様のお悩みの素と悪銭空頭の毎日です。
『私の強味は、大工と営業が直結していること!!』しかし、弱みは、この裏返しの部分です。
リフォーム工事は、お客様の『不便、危険、ストレス』と様々なご要望からスタートいたします。そして、一ケ所一ケ所と問題を、お客様と解決し工事完了まで進ませて頂いております。
また、工事完了後にお客様からの感謝のお言葉を頂いたときには、大工時代には感じることの出来なかった嬉しさを感じます。
ひとえに、お客様に恵まれておると、日々感謝です。
また、この喜びを『糧に』リフォームチームはがんばってます!!
学生時代は建築とは全く違う専攻をしていたため、大学卒業後は一時海外で仕事をしたこともありましたが、地元でものづくりに携わりたいという思いから、2012年にTODAに入社しました。
入社前のTODAに対するイメージは、自然素材を使ってオシャレで楽しそうな家を作っている工務店というものでしかなかったのですが、すぐにそのイメージが表面的なものでしかなかった事に気が付きました。
TODAは、素材やデザインにこだわるだけでなく、自然の光・風を取り入れた設計手法や50年後には古民家として次世代に残せる家づくりなど、もっともっと深い理念に基づいた家づくりをしています。
私の役目はそんなTODAの家づくりへの思いをお客様に伝え、理想の家づくりのお手伝いをさせて頂くことです。
人生最大のイベントである家づくりを任せて頂けることにやりがいと責任を感じながら、家づくりを楽しんで頂ける事を第一に考えて日々仕事をしています。
建築科を卒業し名古屋の設計事務所で働いていました。
結婚を機に退職し、豊橋に住むことになりました。
豊橋に来てからは、金融機関などで働きましたが、「ものづくりに携わりたい」とおもうようになりました。
縁あって戸田工務店の一員になりました。
設計の補助として働いています。
仕事内容は、お施主様と設計士の打合せで決まった内容を図面におこすことです。
皆様の家造りの想いを図面にすることはとても楽しいです。
設計士のこだわりが形となりお施主様にお伝えできること・・・大切な家造りに携われることをうれしく思っています。
建築との出会いは、小学校5年生の時、住んでいた社宅から、家を買おうという出来事がありました。当時は家でキリンやゾウが飼えます。というCMが放送されていた頃で、新しいお家はどれくらい大きいお家になるのかな?何階建てかな?ととても楽しみにしていました。(でも、実際はキリンやゾウは飼えないお家でした。)
図面ができると嬉しくて嬉しくて、図面を何回も見て、真似して書いたりしていました。また打合せに行って仕様を決める時の両親の嬉しそうな顔に楽しいんだ~と喜びを感じていました。
その頃から、お家に係わる仕事がしたいと強く思うようになりました。
専門学校時代には、古い建物が好きで、お寺、神社、お城、古民家様々な建物を見る旅行に行きました。
中でも、長野県の重要文化財の住宅を見せていただいた時に家主の方から、「写真が綺麗な本を見て、この建物が良いと思うなんて、建築家のたまごとしては最低だ。」と強く叱られたことがあります。
何で怒られたのか?その時は全く分からずに涙しました。
しかし、古い物を残して行く事は大変苦労が多い事なのだと、後で読んだ本で知りました。
その出来事でより古民家に魅力を感じ、もっともっと好きになりました。
(実際のその古民家は、入ってぞっとする程の当時の様子、息使いを感じる程の迫力と美しさでした)
TODAの家には、薪ストーブや土間があり、美しい木組みも見る事ができ、古民家に似ている所もたくさんあります。
TODAの一員としてお家造りのお手伝いをさせて頂いている現在、長いようで短い工事期間を、お客様に良い思い出として少しでも残してもらえるようにする!!という思いを胸に、現場管理をさせていただいております。
男性スタッフに負けないように、女性らしく頑張りますので、宜しくお願いします!!
平成19年9月より縁あって経理の仕事をしております。
入社した頃小学生だった息子2人は、社会人になりました。
子育ても一段落ついたので、自分と同じ歳の我が家をリフォームしたい、旅行に行きたい、英会話習いたい、写真を習いたいなどやりたい事がたくさん!!
仕事や家事が楽しくなるよう、自分の時間も大切にしたいです。
好きなことは、食べること、寝ること、スポーツ観戦と至って普通です。で、興味のあることは、ダイエット。日々の努力が必要とわかっていつつ、「楽して痩せる」という魔法の言葉にすぐ飛びつきそうになる横着者です。
工務店に勤めていながら「もったいない」と言われそうですが、いろんなものにあまりこだわりがないので、我が家をリフォームした場合、実用性重視になると思います。
いつになるかわかりませんが、リフォームした際にはぜひ見学にお越しください。
「自分の家が欲しい!」 ずっとあたためてきた私の夢です。
平成23年8月にその夢が叶い、TODAの家に住む事が出来ました。大学を卒業した後、全国展開の水廻りメーカーで10年間働きました。豊橋に転勤してきて今の妻と出会い、「この豊橋に家庭を築いて、家族の成長を自分の家で見守っていきたい」という想いが強くなってきました。
そんな折、戸田社長から声をかけていただき、平成18年からスタッフとしてお客様の家造りのお手伝いをさせていただくこととなりました。
お客様は家造りという大きな夢を現実のものにするべく、TODAにその想いを託されます。
私はそのお客様の想いに精一杯応え、安心してまかせていただけるようにする。
こうした関係を築けることが私にとって大きな喜びであり、またその責任はとても重たいものだと考えています。私自身、3年間かかってようやく土地を購入し、返済に一生涯かかるであろうローン組みをして家を建て、今その家で暮らすようになって初めて、家造りをするお客様の本当の悩みや苦しみを理解することが出来たように思います。
一方で実際に住んでみてわかりましたが、TODAの家は本当に心地が良いです。末永く愛していただけるお家です。
その事を少しでも多くの方に感じていただきたく、日々お客様にお会いしています。
学校を出てから 早 44年 他の業界に転職することも無くずっとこの業界で生活の糧を得てきました。
設計事務所 、元ゼネコン、住宅ビルダーを経て戸田工務店にお世話になり13年が過ぎました。
その間には奥三河の友人の薪ストーブの付いた住宅を縁あって建築し、また住宅以外にも古材を使ったデイサービス、奥三河の古民家の再生など町場の会社に勤めていたら経験出来ないような仕事に携わり、今時の60代は自分で言うのも何ですがまだまだ足腰元気ですので、ガンで亡くなられてしまいましたがいくつになっても前向きにいろんなことに挑戦してみえた、登山家の田部井淳子さんのような、「現状を受け止めること、前向きに楽しんで生きていく生き方」をこの先もして行きたい、そんな今日この頃です。
今しているお仕事は、見学会に来られたお客様やOB様にTODAに関する色んな情報をお持ちすることです。
実は私自身、TODAで家を建てたお客の一人です。
出会いはまさに一目惚れ。
もちろんハウジングセンターや工務店を見て回りましたが、TODAだけは違っていました。
何か暖かい空気が流れているような、家はもちろんSTAFFの雰囲気、会長の素朴さ含め、すべてがとにかく居心地が良かったです。
それからの家づくりは楽しかったですね。
何もない所から自分達の思いが形になっていくのですから。
家が出来て3年、末娘がようやく手を焼かなくなり始め、自分のした経験を皆さんにお伝えしたくて居ても立っても居られず「TODAで何かお手伝いさせて下さい。」と会長に電話したのが今に至る経緯です。
専門的な事は良く分かりませんが、TODAの家を建てた人間として生の声を皆さんに伝える事が出来たらいいなぁと思っています。
STAFFになってから再確認した事は、会長のハートの暖かさは上辺だけじゃない。
だからSTAFFのハートも暖かいんだと、きっとそんなTODAの家だからこそ一目惚れしちゃったんですね。
自分が尊敬できる人のもとで仕事をさせて貰えるってことはとても光栄に思います。
素敵な家とTODAとの出会いは私の宝物の一つです。
建築学科を学部で卒業して10年、ハウスメーカーで営業をしてきました。
同級生が皆、大学院に進学し一級建築士として大手ゼネコンや設計事務所に就職するという環境の中、私が選んだのは設計ではなく営業。
昔から、とにかく“人”が好きで、その人の暮らしを彩る“家”が好き。
だから、一番“人”の近くで“家”づくりのお手伝いができる営業を選びました。
夫は日本の伝統的な建築物を専門とする宮大工。
まだ幼い2人の子供たち。
結婚,出産,子育てを経て変わってきた価値観。
営業の仕事は好きでしたが、そんな夫や子供たち、そして自分のこれからを考えると
「ハウスメーカーでつくる家が本当に良い家なのか?」
と思うようになり、転職を考えました。
TODAに魅かれたのは、古民家や職人育成など普通の会社が手間を惜しんでやらないような事に積極的に取り組んでいる点、そしてそれを形にできる豊かな人材、何より社長や会長の「今より会社や社会を良くしていきたい」という熱意です。
入社し、知れば知るほど、奥が深く面白い会社です。
そして誰もが「今よりもっと!」という向上心を持っていて刺激的。
営業・企画として、そんなTODAの良さをもっともっと知ってもらうためのお手伝いをしていきたいと思っています。
家づくりの仕事について想うことは、
『もっといい住まいをつくりたい』
この一心に尽きます。
理想の住まいは人それぞれ違います。
また、押し付けたものでもいけないと思います。
出会ったお施主様の暮らしに合わせて、一緒に理想の住まいを形にしていきたいです。
『いい住まいって何だろう?』と、いつも自問自答を繰り返しこれからも自分を磨き続けていきます。
私たち工務の仕事はお客様と営業が出会い、お客様の思いを図面に設計が描き、その図面を形にしていくことです。
お客様の思いが詰まったものを形にしていくということですのでとても大変なことです。
しかし戸田工務店には建物を形にしていくために絶対に必要でその思いを引き継いでくれる「職人」たちがいます。
大工、左官工事が目立ちやすいですがそれだけでは建物は建ちません!
基礎工事から始まり、仕上げ工事までに何十人と職人は入りますが、すべての職人たちはその思いに答え、日々戸田工務店の建物を形にして頂いています。
戸田工務店の家は同じものはありません!
それをどうすればよりいいものになるかと日々職人と相談、検討しています。
戸田工務店で建物を建てていくのにぜひ建物だけでなく職人たちの技術を見て頂けると、より家づくりの楽しさが増すと思います。
田舎育ちなもんでね、うまいことしゃべれないのは勘弁して下さい。
小さい頃は自分で作った弓矢や刀持ってチャンバラしてました。町は好きじゃないですね。
新城あたりはのんびりしているし、家を建てる木もある。
やはり遠くから運んでくるよりも、地元で育った木で建てるほうがお客さんも安心でしょ。
若い人には、「仕事を自分の身にせんことには、いい仕事はできん」と言っています。
どういうことかって?うーんつまり、建物が何から何まで全部自分のものになっている、自分のことのように分かる、という感じですかね。
そうでないと、お客様にとって、さほどメンテナンスがかからない家にはなりませんから。
いま住んでいるのが昭和2年に建てられた古民家なんですが、今ではとても手に入らないような材を使って、しっかりした伝統工法で建てられています。こういう建物を見ると、大工という仕事は、つくづくいい仕事だなと思いますね。
結婚する時、
「絶対、退屈しない人生になるよ!」って言われたんです。
どういう趣旨で言ったかは、会長は覚えていないと思いますが・・・。
まさにその通りでしたね。良い意味でも悪い意味でも。
会長はすべてに対して一生懸命で前向きな人なんです。
そんな性格なので悪気は無いのですが一生懸命になればなる程、周りが見えなくなることがあるんですね。
そういうところを補いサポートしていくのが私の仕事かなって思い、今まできました。
休日関係なく仕事、仕事で子供達と一緒にはほとんど夕食も取れず、たまに休みが取れたとしても出掛けるのはテーマパークのような所ではなく、子供が行っても楽しくないような、会長が見たいお寺や美術館、建物や街並や山、そういったとこばかり。
小さい頃のマネージャーは、周りの友達はディズニーランドとかに行くのに、なぜうちは違うんだとよく旅先で駄々をこねていましたっけ。
挙句の果てには、娘がお腹の中にいて出産間近かの時、「今年はこの国へ行くから!」と航空券片手に言われたときは目が点に・・・。いつ決めたの・・・って。
でも、一度決めた事は曲げない人だから笑顔で「いってらっしゃい!」って見送りました。
旅と出会いが人間『戸田由信』を大きくし、家族と会社のためにプラスになっていく事を会長以上に私は理解していたので。頭ではわかっていても、実際は寂しかったですね。
息子二人もまだ小さかったですし、不安で不安でこらえてもこらえても涙が溢れ出て止まりませんでした。
でも、色んな人の助けを借り、無事娘を出産。人生、上り坂や下り坂そして「 ま さ か 」と言う坂もすべて経験しましたね。いっぱい笑って、いっぱい泣きましたよ。
今までは、自分の事そっちのけで子供のことや会社のことを第一優先に考え、過ごしてきました。
子供達もそれぞれ家庭を持ち、2013年3月、会長は長男に社長職をゆずり、修行に出ていた次男も会社に戻り、個性派の優秀なスタッフも揃い、そろそろ自分達の事を考える余裕が出てきました。
会長職に就いた主人と言えばのんびりと・・・と思う間もなく、今まで以上に西へ東へ・・・。
私だけではなく、迷惑被るスタッフも多いと察し、時には周りを見渡すように促すと、逆にガッツリ言い返されます!!
自分が築き上げたポリシーや手がけて来た数々の作品に満足せず、今だ探究心旺盛な会長のお守りは大変疲れますが、そこが良いトコロでもあります。
会長の気持ちだけは、まだまだ青春。しかし体力の衰えは正直です。
クタクタになって帰宅する会長を支え、私にしかできないサポートをしたいと強く思う今日この頃です。
もう少し先になりそうですが、二人で孫たちと近くの川で魚をすくったり、あぜ道を散歩したり、残された人生をのんびりと会長と共に歩んでいきたいと思います。
私自身、TODAでたくさんの出会いをさせて貰いました。
私やスタッフ達もそれぞれOBさん達と仕事の領域を超え、家族みたいな付合いをしている方もいます。
これからもTODAが良い出会いのきっかけになれば、私もとても嬉しいです。
新旧のTODAのお客様宅に、最低でも年4回訪問出来るのは私の特権です。
お客様と一番近い位置に居られるのも私だけの特権です。
訪問が遅れると心配して下さったり、「暑かったでしょ?」と気に掛けて下さったり感謝の気持ちでいっぱいです。
お客様の笑顔が私の『元気の源』です。
TODAで家を建て、TODAでリフォームしたOBでもあります。
TODAに対する熱い想いはいつも沸々しています。
どうぞ、お気軽にお声かけ下さい。
いつまでも新しいことにチャレンジして、不安や失敗を恐れる気持ちに勝る、ワクワクやドキドキをスタッフや職人さんと共に感じて仕事をしていきたい。
会長と同じように、私は人との出会いによって刺激を受け・感化されてきました。
それは、以前勤めていた会社の社長や上司、バックパッカー時代、部活仲間やライバルや同世代の経営者の仲間やお客様であったり、出会う時期と場所は様々でした。
必要な時期に必要な人が目の前に現れてくれる。ご縁に関して私はとても運の良い人間だと思っています。同じような出会いをTODAの若いスタッフも経験し、夢舞台の創造に活かしてほしいと思っています。私自身これからも多くの出会いが得られる様に、スタッフと共に行動し・学び成長していきます。
大工の祖父・設計士の父親、私が選んだ道は営業マン。
選んだ道は違えども、思いや志は同じです。
ガツガツした営業マンでなく、TODAの優秀な設計士・監督・職人さんの提案力や技術力をお客様に伝えるのが私の使命だと思っています。
私自身、家づくりを経験し、いろんな不安もありましたが、
≪やっぱり家づくりは楽しい≫です。
一日でも長く家族と共に夢の舞台で暮らしたい。
そんな気持ちをこれからも、皆様にお伝えしていきます。
[unitegallery mukaiyama]
[unitegallery shinshiro]
[unitegallery toyokawa]
大工になったきっかけは、ある先輩大工に誘われたことです。この仕事は常に楽しいです。余計なストレスもないし、お客様に喜ばれる。本当にやりがいのある「誇れる仕事」だと思います。
将来の夢は南の島に住む事。そして、生涯現役、生涯大工職人として人生をまっとうしたいです。
技を磨きながら人間力も高めれる創造的な仕事。それが大工です。
TODAに入社して4年目になります。家づくりの魅力は、お客様のご要望だけではなく見えないところを作り込んでいくことです。例えば使いやすさ、将来を見据えての動線・構造まで考えることです。また、注文住宅なので、1軒1軒、違うところが楽しいですね。
プライベートでは、北海道出身ということもあり、名古屋の人が行くモーニングなどにいきたいです。あちは本を読んだり、お菓子作りが好きです。
やはり刻んでいるときにやりがいを感じるのですが、特にほぞ穴を掘っているときが一番集中できます。没頭できます。
最近は趣味がなくなってしまったのですが、映画はよく見ます。特にアクションは好きでよく見ます、ホラーはちょっとだけみます。