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百姓的生き方 | 戸田工務店
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百姓的生き方

先日
奥三河田舎暮らし隊で主催した
「新城の未来を考えるシンポジウム」
基調講演で登壇してくれた鈴木孝浩さんが
(鈴木さんのブログはこちら)

自己紹介で
「ひゃくしょう」をしています。と表現したのがとても印象的でした。
(「ひゃくしょう」を百姓と表記したか百商と表記したか記憶が定かではありませんが…)

「百姓」は元々
農業に従事する百の姓つまり平民、とか
田舎者の蔑称とされていますが

「農業以外の複数の生業を持つ」→「百商」と彼は表現していました。

昔は、村の中で
1人が様々なことを手掛け、何でも出来ることで暮らしが成り立っていましたが

近代的分業が進み、
1つの事には長けているが
他はよく分からない、という
「出来ないことはお金で解決する」
社会が生れたように思います。

効率を求め分業化を推奨してきた
近代的成長の中で
何かに特化しない「百姓」は
蔑視の対象とされてきたのかもしれませんが

そんな時代だからこそ
一周回って

彼の言う「百姓」は未来的ではないか、と
強く心に残ったのでした。

私は何でも知ってる「お婆ちゃんの知恵袋」のような昔の暮らし方が好きで

実体験で色々なことを経験することで
様々な立場の他者のことを理解できると思っているので

「自分は何者である」と
明確に区分されない
百姓のような有機的な暮らし方に
とても心をひかれます。

働き方改革で副業を推奨される時代。

単純作業はAIに取って変わられ
少子化により物的消費は縮小していく未来。
消費縮小により、今あるシステムでの収入が約束されない将来(給与収入、年金含め)

そんな近い未来に
自力で生きることができ
マルチなプレイヤーである「百姓」は

実はとても強い生き方ではないのか。

と、彼の講演を聞いて思ったのでした。

 

お金に頼らず、
出来ることは自分でやってみる。
物の成り立ちや背景を理解する。
その上で、自分に出来ることを選択する。

そんなマルチな百姓的生き方を
したいなぁと思っています。

ということで、みそづくりイベント
「みそ、つくろまい!」を開催します!
(関係ある?(笑))

イベントの案内はこちら
イベントの様子らこちら