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少年の頃、世間の価値観にどっぷり浸っていた私は、どうせ自分には大工になる道しか許されていないのだと決め付け、自分で自分の人生を見限ろうとしていました。それが全くの誤解であることを教えてくれたのは、本や友や仕事を通じて出会った多くの人々でした。
それ以来、私はそれが本当に生身の自分が感じていることなのか、それとも世間の尺度に従ってそう思い込んでいるだけなのかに、敏感になりました。
世間の尺度の中で生きていくことは、ある意味で楽です。けれどそれでは自分の魂は置き去りにされてしまいます。人間社会に暮らしている以上、時代の流れ、世の中の流れには、誰しも沿っていかなくてはならないでしょう。しかし流れに身を委ねながらも、どこか凛とした自分なりのものさしを持っていなくては、誰かを愛することすらできないと思うのです。
その気持ちを忘れないために、時に私は冬山を歩きます。すべてをそぎ落とし、曖昧さを許さない冬の山は、私自身を裸にし、埋もれていた野生的な本能を目覚めさせ、究極に大切なことは何かを思い出させてくれるからです。
流されながら、流れない。細く、厳しいけれども、純白の新雪が降り積もった道を、力強く踏みしめていきたいと思います。
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