専門学校を卒業した2年後 私は、すぐにYさんとの約束を果たそうとしました。ところが、渡航のために受けたコレラの予防接種がもとで高熱を出し、とうとうシベリア鉄道に乗るのを諦めなくてはならなくなったのです。じつに無念でした。しかし、いつまでもくよくよしているわけにもいきません。それで、豊橋の設計事務所に就職し、腕を磨くことにしました。そこで出会ったのが「アトリエ・ギルド」だったのです。
「アトリエ・ギルド」は、建築家や彫刻家、グラフィックデザイナー、写真家といった人びとが自由に出入りし、芸術についていつも議論をたたかわしている、熱気にあふれたサロンでした。若い私には、目もくらむような刺激です。私はここに通いつめ、ずいぶんかわいがってもらいました。そして、そこで私は「はぎとる建築」という言葉を初めて耳にしたのです。建築というのは普通は「つぎたすもの」です。それを「いろんなものを取り払って、シンプルに行こう」「素材の表情でやろう」というのです。「天井をとりましょう」「壁をとりましょう」「自然素材にしましょう」・・今でこそ、当たり前のようですが、当時は信じられないほど前衛的なことでした。
この時期、私は芸術家たちから、全身全霊でいろいろなことを吸収しようとしていたと思います。 |