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私の家はおじいさんの代から大工でした。だから自分も大工になるものだと思って、何の疑問も感じませんでした。小さい頃から将来が見えているのだから、勉強しません。落ちこぼれへの道まっしぐら、です。高校へも行きたくなかったけれど、母親に泣かれて、渋々行きました。でも行ってみても、まわりは同じようなおちこぼればかり。何も面白くありません。そこで、弁当を持ったまま家の納屋にこもって、一日過ごしたこともありましたね。
そんな生活の中で、ある日ふと本を読みたいな、と思ったんです。それまでは、自分の生きている世界だけが全世界だと思っていたけれど、どうも違うんじゃないか。全然違う世界があるんじゃないかと、おぼろ気に感じはじめていたのだと、今にして思います。決められた人生の中で、やる気をなくしていた少年が、生れて初めて「人生とは何か」ということを考えはじめた瞬間でした。
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| 高校生時代 |
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その時に読んだ一冊が、「何でも見てやろう」(小田実著)でした。シベリア鉄道でヨーロッパまで、貧乏旅行をした体験記なのですが、これにガーンとショックを受けました。それは、「すごいな。金がなくてもこれだけのことがやれるんだな」という驚きと、「俺は世の中のことを何も知らないで大工になってしまう。井の中の蛙のまま、後輩に偉そうにして、それだけで終ってしまう」という怖さが混ざり合ったものでした。
「こりゃ勉強せにゃいかん」と思った私は、親父を拝み倒して学費を出してもらい、大阪の専門学校に行きました。ちょうど万博の前の年で、外国に対する憧れから何気なく大阪を選んだのですが、ここで私は運命の人と出会うことになるのです。
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| 学生時代、ヒッチハイクで北海道へ |
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50人ほどが集まった寮の懇親会で、その人は私の隣に座りました。後にミラノ工科大学に学び、いまもその地で建築家として仕事をするYさんです。Yさんは、最初からそこに集まった仲間とは一種違った雰囲気を発散させていました。親の援助を一切受けず、自力でミラノへ行き、建築家になることをめざしていたYさんからは、すでに一人前の大人の落ち着きが感じられました。そのYさんが、私に何かと勉強を教えてくれたり、旅することを勧めてくれたりしたのです。
郷里でおちこぼれていた私が、大阪では白紙になり、Yさんのような人が気さくにつきあってくれるのが、私にはたまらない喜びでした。だから私も、真剣にYさんとつきあおうと思いました。私はYさんと競争で勉強し、本を読み、旅をしました。一緒に旅をしたことはありません。いつも一人旅です。Yさんは「自分の意志ですることは、一人でするべきだ」という考えの持ち主でした。いつしか私たちは無二の親友になっていました。
「戸田、卒業したら、シベリア鉄道を使ってヘルシンキまで来いよ、迎えに行くから。そこから二人でミラノへ行こう」。Yさんはそう言って、一足先に夢に向かって旅立って行きました。
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