1945年8月7日、10時30分。
隣町、豊川市にあった海軍工廠に空襲がありました。
戦時中、機銃や弾丸の製造を行っており、その規模は東海地区は勿論、東洋随一であったそうです。
30分間に250kg爆弾3,256発(約800トン)が投下され工廠は壊滅しました。
この空襲でおよそ2,500名の方が命を落としたそうです。
その中には、勤労動員されていた多くの学生さんも含まれています。
当時、工廠内で勤労動員していた祖母の弟は命からがら千両の山手まで逃げ、生き延びました。
祖母は、空襲を知り実家から工廠まで駆けつけたそうです。
しかし、工廠周辺の状況は、『まず生きてはいないな・・・』と思わせる惨状だったそうです。
一部の望みをかけ、弟と同じ年代の子達に声をかけ、聞いて回っていると無事らしいと言う事が分かったそうです。
しかし、実際に顔を合わすまではと探し回り、出逢えた時の安堵感と言ったら・・・。
など、祖母から当時の事を色々と聞きましたし、実際におじさん(祖母の弟)からも聞きました。
理不尽な死が隣にあり、その隣では生きてて良かったと喜びあい、次の日からは何事もなかったかのようにまた働く。
『 あの頃はみんな感情が麻痺していたし、実際に麻痺させないとやっていけなかった 』
と語るおじさんの言葉に、返す言葉が無かったのを覚えています。
月並みですが、犠牲者の方々に心よりご冥福をお祈り申し上げます。
愛知県(豊橋市、豊川市、新城市)、静岡県で木の注文住宅を建てる工務店、愛知県の戸田工務店