東愛知新聞さんに掲載された記事を全文抜粋いたします。
「戦時下、兄を訪ねて満州へ」
1944(昭和19)年、中国・満州に駐屯していた実兄を訪ねた時の思い出を、新城市八束穂の戸田康(やす)さん(84)が冊子「私の太平洋戦争」にまとめた。当時、19歳の女性が経験した貴重な“一人旅”の記録で、戦時を日常的な視点で捉えた興味深い内容に仕上がっている。戸田さんも「今の人なりに感じてもらえれば」と笑顔で話す。
戸田さんは、戸田工務店社長・戸田由信さん=新城市=の母。26(大正15)年、能登瀬村(現新城市)生まれ。生田家の3女で、冊子の登場するのは長男・薫さん。
村役場に務めていた36(昭和11)年、豊橋の歩兵第18連隊に入隊し、満州へ出征。兵役後も関東軍に入り、海城(ハイチョン)での駐屯地任務を経て、44年、サイパン島に向かう途中、米国潜水艦の魚雷攻撃で沖縄海域に散った。享年29歳。
この薫さんが、海城での長期駐屯を機に43年、一度故郷に戻って結婚し、再び夫婦で満州へ。翌年の44年1月、現地から手紙で「2月半ばに出産予定のため、お産前後の手伝いに来てほしい」と依頼があったため、康さんが訪問することになった。
これらの話を、近所に住む前新城市教育委員長で設楽原をまもる会会長の小林芳春さんにしたところ、「そういうことも貴重な戦争体験の一つ。風化させないようぜひ残さねば」となり、冊子としてまとめることになった。
作業は3月ごろから始まり、康さんの話を小林さんがまとめて文章化し、さらに補足資料を加えて仕上げた。約50冊作成し、これまでに親族を中心に配ったという。
内容は、満州への一人旅が中心。「妹の私が行くよりほかなかった」と家のために決心した心境はじめ、東海道線や国営関釜連絡船、朝鮮・満州鉄道などを乗り継ぎ、5日間かけて海城に到着するまでの道中を記した。
中でも、関釜連絡船では、敵の攻撃に備えた避難・消化訓練で、甲板を走り回り大変だったと回想。近くには護衛艦や飛行機も見え、「日本が戦争中で私たちの命が危険なところにあるのだと実感した」と述べた。
また、薫さんが生まれたばかりの長男・康之さんを抱いてうれしさをにじませた光景が今でも忘れられないと紹介。その直後、「これから長期の演習に出かける。あとのことはよろしく頼む」と、まるで覚悟をしたかのように言い残して旅立ち、帰らぬ人になったと申し添えた。
戸田さんは「こうやって思い出が残ることになり良かったと思う」とニッコリ。「今思えばいろんなことを経験した。文化の違いにも触れてとても勉強になった。改めて日本が良いところだと実感しました」と話す。
希望者には無料尾で配布する。問い合わせは、同工務店(0536・24・3030)へ。
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