幼い頃からお袋の実家に家族で里帰りした時、何をさておいても先ずは向かう場所がありました。
そこは実家の一番奥の薄暗い座敷にある仏間でした。
そこで仏壇に向かい家族で手を合わせ、お参りが終わるとお袋の実家での楽しい里帰りの日々が始まります。
そして物心付く頃から仏間に飾られた一枚の軍服姿の立派な遺影がいつも気になっておりました。
その亡き伯父とお袋の戦時の物語が一冊の冊子となり、このほど地元の二つのメディアに取り上げられました。
以下、記事を抜粋させていただきます。
【東日新聞より】
「戦時下満州一人旅」
新城市八束穂の戸田康さん(84)はこのほど、戦時中に1人で当時の満州(中国東北部)まで旅したときの思い出をまとめた冊子「私の太平洋戦争」を発表した。
康さんは1944年1月から4月にかけて、歩兵第18連隊の兵士として満州に赴任していた兄の薫さんの求めに応じて、兄嫁の出産を手伝うために家族を代表して1人で初めて同地を訪れた。
その時の話を、近所に住む元新城市教育長の小林芳春氏が聞き、「貴重な体験を風化させてはならない」と、聞き書きで冊子にまとめた。
この中では、幼い子どもたちを抱えて身動きが取れない母親の代わりに、19歳だった康さんが満州行きを決意し、不安を感じながらも鉄道や船を乗り継いで満州に赴いたときの様子をつづっている。
下関から乗った釜山(韓国)行きの連絡船では、敵襲に備えて甲板で避難訓練をしたという。 新城を出発して5日目に、目的地の海賊に到着。まもなく兄嫁は無事に出産を終えたが、直後に薫さんは長期演習に出発し、再び帰ってくることはなかった。
海賊は部隊が手薄になったことで治安が悪化。身の危険を感じた康さんは、軍の命令を受けて4月に帰国した。兄嫁と赤ん坊も6月に帰国したが、かおるさんは後に戦死の報告が届いた。兄嫁は3年前に死去し、当時幼かった甥(おい)も60歳を過ぎ、現在、豊川市内で暮らしている。
康さんは「昔は『家のため』と言われ、親に頼まれれば断ることはできなかった」と、当時の風潮を複雑な感情とともに振り返る。編集に携わった長男の由信さんも「戦争中は女性もつらい思いをしたことを後世に伝えたかった」と今回の記録の持つ意義を強調する。
50部を作製。希望者には無料で配布する。問い合わせは戸田工務店=電話0536(24)3030へ。
愛知県(豊橋市、豊川市、新城市)、静岡県で木の注文住宅を建てる工務店、愛知県の戸田工務店